死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(5)

 

がんと闘って10年、東大・宗教学教授の岸本英夫氏は、闘病記 (『死を見つめる心』)を書き残しています。

死を目の前にしたとき「死んだらどうなるか」ひとつが問題になるのです。
「生命飢餓状態におかれた人間が、ワナワナしそうな膝がしらを抑えて、
 一生懸命に頑張りながら、観念的な生死観に求めるものは何であるか。
 何か、この直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、
 抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。
 それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物である」 

            (『死を見つめる心』)
親鸞会の知人が「死んだらどうなるか分からない心を無明の闇といい、
これが、苦しみ悩みの根っこだ」と言ったのを忘れることが出来ません。 

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 月曜日 8 2月 2010 at 2:43 PM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(4)

岸本英夫教授を通して「死んだらどうなる?」について書いています。

今回が4回目。

「死の苦しみについて、人々が、まず思うのは、
死にいたるまでの肉体的な苦しみである。
高い熱がいつまでも続く。
胸が、しめつけられるように苦しい。呼吸が困難になる。
そして、ついに、断末魔の苦しみが来る。
口からはあわを吹き、大小便を垂れ流して、
あえぎながら、最後の息を引きとる。思っても、ぞっとすることである。
 そこで、死にいたるまでの病の苦しみさえなければと、
人々は考える。しかし、問題は、それほど単純ではない。
死の苦しみの中には、もっともっと、深刻なワナがかくされている。
 肉体的な病気の苦しみは、かりにそれが苦しくても、
それは、死にいたるまでのことである。
死そのもののもたらす精神的な苦しみは、別のものである。
 死自体を実感することのもたらす精神的な苦しみが、
いかに強烈なものであるか、これは、知らない人が多い。
いな、むしろ、平生は、それを知らないでいられるからこそ、
人間は幸福に生きていられるのである。
しかし、死に直面したときには、そうはいかない」    

ほんと死んだらどうなるのでしょう?
肉体以上に辛いといわれる精神的苦痛。。。

親鸞会の友人から「死んだらどうなるか」について聞いたことが
あります。
今度もっとくわしく聞いてみようと思います。

Posted under 未分類 by ろーどらんなー on 月曜日 1 2月 2010 at 9:03 PM

死んだらどうなる?岸本英夫教授の場合 3

岸本英夫教授の本を通して「死んだらどうなる?」という問題について書いています。

岸本英夫、はもと東京大学の教授でしかも宗教学を専門とした興味ある学者でした。
彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ勇気ある人物でした。

その著「死を見つめる心」にはこう書かれています。

「私は、そのころ、始終、戦時中の空襲のことを思い出していた。敵機が近づくと、あの空襲警報のぶきみなサイレンが鳴った。それを聞くと、心がギュッと緊迫した。
 癌の場合、ある意味では、空襲警報より、もっと始末が悪かった。空襲警報の場合は、警報解除ということがあった。しかし、今度の癌とのたたかいにあっては、それがない。朝から晩まで、心は、緊張のしつづけである。私の内心は、絶え間ない血みどろのたたかいの連続であった」 

肉体よりも、死への恐怖という心の苦しみの方が
はるかに大きいと書かれてあります。
まさに「死んだらどうなる?」の恐怖。

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 日曜日 27 12月 2009 at 5:11 PM

死んだらどうなる?岸本英夫教授の場合

岸本英夫教授の本を通して「死んだらどうなる?」という問題について
書いています。

岸本英夫、この人はもと東京大学の教授でしかも宗教学を専門とした興味ある学者でした。
彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ勇気ある人物でした。

癌の中でも最も恐ろしいといわれる悪性黒色腫という皮膚癌があります。
その転移性の早いことでは致命的な癌です。

岸本教授はかなり以前からしこっていた彼の左アゴの異様な固りを切開したのですが
そこにあの黒色腫の悪性な癌細胞が検出されたのです。

あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックは、それは大変な
ものでした。

岸本教授はこう書いています。

「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。
 昼はまだ良い。
 夜が問題だった、夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。
 癌の宣告を受けた私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を
 もたげてきたことを知った。
 腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくないという強烈な欲求と、
 死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、
 そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、
 私は身をもって知らされた。」

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 金曜日 27 11月 2009 at 11:34 AM

「死んだらどうなる」は大問題

「死んだらどうなる?」

これが大問題と思ったのは、一冊の手記を読んだことが大きい。

その手記とは岸本英夫教授(1903~1964)の『死を見つめる心』という本だ。

東大教授で文学博士の岸本教授は10年のガン闘病中に自らの心情を
その著『死を見つめる心』に吐露しています。
この本は、逝去の年、毎日出版文化賞を受賞しています。 

岸本教授がガンの宣告を受けたのは昭和二十九年、スタンフォード大学の客員教授
として、米国滞在中でした。

あごの下にできたしこりを、念のために摘出したあと、病院を訪れた時である。
体調を尋ねられた岸本氏は、

「パーフェクト(完璧)で、どこも何ともない」

と答えた。すると、医師は、

「これ(摘出したしこり)が、単純なリンパ腺の腫脹だと、問題はなかったのですが、
 増殖性のものだったので……」

と言う。岸本氏はハッとした。

「もしや、ガンでも……」

不安は的中し、余命半年を告げられたのである。
働き盛りの五十一歳。
夫人が、「結婚してから、一度も病気らしい病気もせず、丈夫な体と強い精神の
持ち主でした」と述懐する岸本氏にとって、まさに寝耳に水だった。

少し前までの「冗談でも言えそうなゆったりした」気分がうそのように、
心は異様に緊張し、「全く別人のような気持ち」になっていたという。

 胸中を闘病記に書いている。

「死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、
 突然に来たとしか感じないのである。
 生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていない
 からである。(略)
 死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気で
 やってくる。
 ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んで
 くる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。
 しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止める
 ことも、動かすこともできない怪物である」 
             (『死を見つめる心』)

しばらく、この本を通して「死んだらどうなる」がいかに大きな問題か
考えていきたいと思います。

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 水曜日 28 10月 2009 at 4:35 PM

死んだらどうなる?パスカル

死んだらどうなる?っていうこのブログを書いていたら
パスカルの言葉を教えてくれる人があったので、
ちょっと紹介させてもらいます。

「この世においては来世を望むこと以外に幸福はなく、
 人はそれに近づくにしたがってのみ幸福であり、
 そしてその永遠について完全な確信を持っている人々に
 とってはもはや何の不幸も存在しないのと同じに、
 それについて何の光も持っていない人々にとっては
 何の幸福も存在しない」

死んだあとの幸福がハッキリしていたら、それこそが
幸せであり、死んだあとの世界に光が見出せないなら、
その人は、不幸だっていうことですね。

うーん。
たしかに、明るい未来に向かっての今は楽しいけれど、
暗い未来に向かっての今は、苦しいですね。
また、本当は未来はまっくらなのに、今、嬉々としている
のは、喜劇を通り越した悲劇。

ちょうど、電車の行き先は、監獄なのに、なにもしらない
子供が、初めての電車にウキウキしているような、そんな
感じかもしれませんね。

もう一つ、パスカルから。

「最後の幕は血で汚される。
 劇の他の場面がどんなに美しくても同じだ。
 ついには人々が頭の上に土を投げかけ、
 それで永久におしまいである」

うむむむー
途中よくても最後だめならダメじゃん。

「終わりよければ、すべてよし」の逆になっちゃうね。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編 by ろーどらんなー on 火曜日 29 9月 2009 at 11:25 AM

死んだら自殺者はどうなるの?

悲しいかな自殺者が増えてきている昨今なので、真剣に私の考えも書いてみようと思います。
自殺の理由はさまざまです。
病気を苦にしたり、人間関係で悩んだり、いじめで自殺を考えたり、他にも失恋、借金、大失敗で会社に大損害、
大恥かいてとても生きていけない、などなど。
でも共通しているのは、苦しんでいた、ということですよね。
当然といえば当然でしょう。
幸せだから自殺するってことはちょっと考えられないですものね。

私の身近でもいじめの相談を誰にもすることができなくて自殺してしまった子がいます。
とても悲しいことです。

では苦しい人がなぜ自殺をするのでしょう?
死んだら楽になれると思うからなのではないでしょうか。
もちろん、そこまで冷静に考えられるほど余裕はなく、衝動的自殺も
多いのでしょうが。
少なくとも今より苦しむと本気で思って自殺することはないと思います。
人間、みな苦しいのは嫌ですからね。

だから自殺したらリセットできるとか、無になってすべて清算できるとか、
そう思うのでしょう。
でも誰も死んだあとこうなるって誰もハッキリなんかしてません。
死んだら楽になれるというのはあくまで願望であって、何か理論的なものが
あるわけではないでしょう。
確かに死にたくなるくらい苦しいってことはあるのだけれど、だから自殺する
というのは、どうなのでしょう?
この辺のところが分かっていないと、なぜ自殺をしたらいけないのかっていう
答えは出てこないんじゃないかな。
そういう意味でも死んだらどうなるかを考えるのは意義のあることだと思い
ます。
親鸞会のサイトでも自殺に関することが多くでているので、ちょっと時間を
とって勉強しないといけないな。
ちなみに私は自殺反対派。
うーん、どうしてとハッキリいえないのがもどかしいのだけど、自殺だけは
してはいけないように感じます。
その理由を知る上でももっともっと勉強していきたいと思います。
結果報告はこのブログに書いていきますね。

Posted under 死んだらどうなる?幽霊編, 死んだらどうなる?自殺者編, 死んだらどうなる?魂編 by ろーどらんなー on 日曜日 12 7月 2009 at 10:04 AM

死んだら仏教ではどうなるの?

死んだらどうなるってことは、いろいろな宗教で考えられています。宗教によって出されている答えは様々で、死んだらどうなる?って考えるたびにひとつひとつの宗教が生まれたといっても過言ではないくらい。

基本的に、善いことをしてたら善い世界に、悪いことをしてたら悪い世界に
生まれるといわれているようですね。
それは賛成!
この世の頑張りが死後にはまったく関係ないっていうのはどうにもやりきれ
ません。
だからそうだとは言えないだろうけど、うーん、少なくともそう思いたいのが
正直なところです。

実際、仏教ではそう教えているようですね。
殺生したり、盗みを犯したり、嘘をついたり……と、こんな生き方をしている人たちは、その自らの行いによって、世間から非難されるなどをとっても辛い生活を送ることになりますが、その人たちは死んで、来世でもまた苦しむことになると教えているようです。
だからたとえこの世で悪事のかぎりを尽くしながら、捕まることなく天寿をまっとうした
としても、来世でその報いがくるわけです。
そうそう、そうでなくっちゃね。
そこのところも親鸞会で勉強している友人にもよく聞いておこう。

ちなみに、神を信ずれば悪いおこないも許されて天国に行き、
神を信じてなかったら地獄(煉獄)におちるっていうのはどうなんだろ?
いってはなんだけど、自分を大事にする生徒は成績が悪くてもひいきして、
自分を大事にしない生徒は、成績がどんなによかろうと貶める、ひどい
教師を思い出してしまうんですよね・・・

ほんとに信じるものは救われるの?
ちょっとおかしい気がするな、それは。

Posted under 死んだらどうなる?仏教編 by ろーどらんなー on 土曜日 4 7月 2009 at 6:04 PM

死んだら旅立ちはどうなるの?

死んだらどうなるかという、前回のお話の続きです。

いじめ体験や借金などで自殺をしてしまう人があります。
死んだら楽になれると思うのか、はたまたリセットできるとか、無になって
チャラとか、いろいろ思うのでしょう。

でも前回もふれたように、誰も死んだあとこうなるってハッキリしないんだよね。
だから、無になるかどうか、リセットできるかどうかなんて保証はどこにもない。
死んだらとてつもなく酷い状況になってしまったなんてこともありうるわけ
だから、安易に「死んで楽に」っていう考えはどうかなあ。

あと、死んだら先になくなった人たちが迎えてくれるとかよく言われるけど
ホントかな?
これは生まれ変わりの考えがあるわけだけど、そうすると、今の世界だって
生まれ変わりの途中かもしれないんだよね。
でも、この世に生まれて成長しても「あ、過去世のおばあちゃんが迎えに
きてくれた」なんてことは全くないものね。
なのに、死んだあとにはそういう世界があるっていわれても、うーん、
私としては全く説得力がない話。
「この世界でも先に亡くなったおばあさんが迎えにきてくれただろ、
だから死んだあとの世界でも、またおばあさんが迎えにきてくれるよ」
というような展開ならまだ分かるけど、実際はそうじゃないものね。
だから幼稚な(失礼!)作り話としか思えないな。
だからといって、死んだあとはこうなると私が分かっているわけでは
ないのだけど。

Posted under 死んだらどうなる?死後の世界編, 死んだらどうなる?魂編 by ろーどらんなー on 土曜日 27 6月 2009 at 5:41 PM

死んだら意識はどうなるの?

死んだらどうなる?って訊ねていると、友人を通して面白い話を聞くことができました。その人は親鸞会というところで仏教の勉強をしているらしい。初耳です。
信じるかどうかはベツとして、ちょっとその話を紹介したいと思いマス。

そもそも死んだらどうなるか考えてみると、どうもハッキリしませんよね。
死んだあとは有るとか無いとか断言している人でも本当のところは、
「と、思う」を省略しているのでしょう。

で、その友人は、「ハッキリしないことは不安じゃない」と聞いてきました。
確かにそうだよね。
大学受験の時も、合格しているかどうかハッキリしないからドキドキしたし、
仲がいい人で、私にも好意をもってくれているんじゃないかと思うんだけど、
どうもハッキリせずに、ドキドキ、そして眠れぬ夜。
停電なんかになると、それこそハッキリみえないから壁づたいにゆっくり
歩いて、それこそ不安一杯です。
なるほど、そうだね、それはそう。
ハッキリしないと不安、友人のいうとおり。

そこで話がもどって「死んだらどうなるかハッキリしないから、人はみな
なんともいえない不安な心を抱えているんだよ」っていうわけ。
うーん、一気に哲学だな。
そうか、なんともいえない不安な心か、たまに感じるかも。
何がというわけでもないのに、淋しくなったり、漠然とした不安な心を
感じたりすることあるものね。

そしてその死んだらどうなるかハッキリしない心を仏教では「無明の闇」
というらしい。
この「無明の闇」はかなり大事な仏教の言葉なのだそうだ。
これは「心の病」にもたとえられるそうなんだけど、一般的につかう、
心の病」とは別みたい。
「魂の病」って感じかな?
そのことについてまた詳しく聞かせてもらえるようだから、楽しみの一つと
しておきましょう。

Posted under 死んだらどうなる?幽霊編, 死んだらどうなる?死後の世界編, 死んだらどうなる?魂編 by ろーどらんなー on 月曜日 22 6月 2009 at 5:15 PM

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