死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(6)
前回の続きです。
「死んだらどうなる」それが最大の問題で、
「直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物」
と論じています。
「おそろしいのは、死後の世界の有無がわからないままに無理にあると言い聞かせて自分を慰めようとし、あるかないかで煩悶することだと気づき、あてにならぬことはあてにはしまい」と決めた。そして、〝手負いのイノシシ〟のごとく働き、死の不安から逃れようとしたのである。
その後も左顎部にがんは頻発し、手術を重ねながら、昭和35年には、東大図書館長の職務を引き受けている。朝食は机で仕事をしながら済ませ、昼食も夕食も、ほとんど家で摂らなかった。仕事に自己を追い込み、死から目を背けていたが、
「手術をしましょう」
と言われるたびに、全身から血の気が引く。死の暗闇は、考えまいとすればするほど、大きな口を開いて迫ってきた。
がむしゃらに働くだけではだめだ、と悩んでいた時、がんに冒された某大学創立者の告別の辞に触れ、「死は別れの時」という考え方に共鳴する。人間は、心の準備をして、小さな別れに堪える。死も準備しておけばよいと考え、心を落ち着かせようとした。
しかし、死には、〝行く手が分からない別れ〟という深刻さがある。