死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(8)

昭和36年の秋、岸本英夫氏はアメリカで、がん治療の権威に診察してもらう機会を得ました。
そしてこう言われました。
「珍しいケースです。あなたのがんは、繰り返し出てくるが、そのつど、早く切り取れば、長く生きられるでしょう」
 岸本氏はすぐに、日本へ電報を打ちます。

〝I can live long〟
(私は長生きができる!)と。

 そして、がんに冒されて以来、日に何度も患部を映していた懐中鏡を使うことも忘れ、死の恐怖から解放されていきました。
 その後も、がんは相変わらず皮膚に顔を出し、切除は繰り返されましたが、
「先日切り取ったがん細胞は良性でした」
という医師の言葉に、ますます安心しました。

けれど、がんが表面に現れなくなっていた昭和38年、ついに脳へ転移し、死の床に就きます。

「患者は、医者の『まだ、大丈夫です』という言葉に自ら進んでだまされているうちに、死んでゆく」と、自身が指摘していたように、失意のうちに、60年の生涯を閉じたのです。

『死を見つめる心』にこう書かれてあります。

「死の問題は、どうしても解かねばならない問題として、人間のひとりひとりに対して、くりかえしくりかえし提起される。どうしても解かなければならないけれども、どうしても解くことができない。これは、永遠のなぞとして、永久に、人間の上に残るであろう」

この大問題について、親鸞会では深く、丁寧に話されていました。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編 by ろーどらんなー on 木曜日 30 9月 2010 at 11:41 AM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(7)

「死んだらどうなるか?」

癌との闘病を赤裸々に語った岸本英夫教授に聞いてみましょう。

「生命を断ち切られるということは、もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
 それが、人間の肉体的生命の終りであることは、たしかである。
 呼吸はとまり、心臓は停止する。(略)しかし、生命体としての人間を構成しているものは、単に、生理的な肉体だけではない。すくなくとも、生きている間は、人間は、精神的な個と考えるのが常識である。生きている現在においては、自分というものの意識がある。『この自分』というものがあるのである。そこで問題は、『この自分』は、死後どうなるかという点に集中してくる。これが人間にとっての大問題となる」
一番の問題は「死んだらどうなるか」
肉体の苦しみよりも大きな問題となるのですね。

この大問題を先日、親鸞会のお話で聞いてきました。
ここまで深い話は別のところで聞いたことがなかったので
驚きました。
そのことについてもまた機会を見つけてお話したいと思います。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編 by ろーどらんなー on 木曜日 5 8月 2010 at 7:06 PM

死んだらどうなる?パスカル

死んだらどうなる?っていうこのブログを書いていたら
パスカルの言葉を教えてくれる人があったので、
ちょっと紹介させてもらいます。

「この世においては来世を望むこと以外に幸福はなく、
 人はそれに近づくにしたがってのみ幸福であり、
 そしてその永遠について完全な確信を持っている人々に
 とってはもはや何の不幸も存在しないのと同じに、
 それについて何の光も持っていない人々にとっては
 何の幸福も存在しない」

死んだあとの幸福がハッキリしていたら、それこそが
幸せであり、死んだあとの世界に光が見出せないなら、
その人は、不幸だっていうことですね。

うーん。
たしかに、明るい未来に向かっての今は楽しいけれど、
暗い未来に向かっての今は、苦しいですね。
また、本当は未来はまっくらなのに、今、嬉々としている
のは、喜劇を通り越した悲劇。

ちょうど、電車の行き先は、監獄なのに、なにもしらない
子供が、初めての電車にウキウキしているような、そんな
感じかもしれませんね。

もう一つ、パスカルから。

「最後の幕は血で汚される。
 劇の他の場面がどんなに美しくても同じだ。
 ついには人々が頭の上に土を投げかけ、
 それで永久におしまいである」

うむむむー
途中よくても最後だめならダメじゃん。

「終わりよければ、すべてよし」の逆になっちゃうね。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編 by ろーどらんなー on 火曜日 29 9月 2009 at 11:25 AM

死んだら周囲はどうなるの?

死んだらどうなるかについて、たまにはシビアに答えてみましょう( ̄ー ̄)

死んだらお通夜、次いでお葬式が挙げられますね。家族たちは身内の訃報を関係者に知らせるために東奔西走して、忙しい中お通夜とお葬式の準備をします。また、当然お金もかかります。全額負担する必要はないとはいえ、タダのハズがありません。そうして家族や親戚たちは仕事や学校を休んで、遠方に住んでいる人なら慌てて準備して、葬式へとやって来るのです。

病院に入っていたなら、お医者さんたちは真っ先に家族に報告しますね。家族が死に目を見届けることができたなら、病室から引き取らなくてはなりません。

事故に遭ったとすれば、現場へは救急車だけでなくパトカーもやって来ます。それが公共の交通機関だとダイヤが大いに乱れますね。自家用車での事故だと自損でもまず交通規制が敷かれます。現場検証をして、破損した車体はレッカー車で移動。加害者がいる場合、その人や家族には一生の苦しみとして残るでしょう。また、裁判沙汰になる可能性も。

もっとひどい場合が殺人の場合。犯人が捕まっていようといまいと、警察内部では上を下への大騒ぎ。各種メディアにも取り上げられてしまうでしょうね。

また、自殺となると原因の追及は避けられません。原因がいじめ問題なら、保護者会から学校へといじめ対策を追及されるのは必須。いじめをしていていもいなくても、生徒にも騒ぎが飛び火します。学校ばかりか、職場でのいじめも考えられますしね。社会に出ると、自殺の原因は家族関係やお金の問題などもあり得るでしょう。

……どうなるか考えてみると、死んだらたくさんの人に迷惑がかかることは間違いないみたいデス。迷惑、なんて言っちゃったらやりきれないですケド(業者さんによってはそれが仕事だしね)

なるべくなら、騒ぎとして広まらないような、穏やかな死を迎えられたらいいですねぇ。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編, 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 土曜日 15 8月 2009 at 4:39 PM

死んだら霊はどうなるの?

死んだらどうなるの?霊なんて本当にいるの?っていう論議はおいといて……

夏になると幽霊の特番がごちゃっと増えますね。視聴者の恐怖感を煽って心胆寒からしめようって魂胆なんでしょう。暑い夏ですからね。心から冷やそうと。うんうん。

しかし、そんな作戦、私には効きません<( ̄^ ̄)>

何故なら、私は幽霊を怖いと思わないからです。幽霊といっても、もとは生きていた人間。志半ばで亡くなってしまい、死後の世界へ行けずに霊となっているなら、私は「可哀そう」と思ってしまいます。その人の死を悼むことはあっても、怖いと思うなんてトンデモナイ。

え?悪霊でもヘイキなのかって?

悪霊ったって、幽霊は幽霊。どうなるっていうんですか。人にとり憑いて殺すなんて言われても、残念ながら私にはそんな経験がないのでピンときません。……幽霊そのものを見たことも感じたこともないので、怖くないとも言えるんでしょうケド。

え?ホラー映画もヘイキなのかって?

ホラー映画は視る人を怖がらせるために作られているんだから、怖くて当たり前。幽霊を題材にしたものでも、そのために大げさに表現されてるじゃないですか。それに、ホラー映画の怖いところって、人間が当たり前の人間の形を成していないトコロだと思うんです。幽霊の問題ではなく。

死んだらどうなるって話とズレちゃいましたね……話を戻しましょう。

とにかく、私はもし幽霊に出くわしたなら、恐れずにその人を悼みたいと思うんデス。辛かったね、よく頑張ったね、今までありがとう、私たちは大丈夫だよ……という思いを込めて。

幽霊に出くわしたいとは思わないケド、もう一度死んだひいおばあちゃんの姿を見られるならそれでもいいかなぁとも思います。お盆なら亡くなった人の魂が一度だけ帰って来る日。私には霊感らしいもののカケラもないけど、おばあちゃんがそこにいると思って、元気な姿を見せてあげたいなぁ。

でも、実際のところはどうなんだろう??

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編, 死んだらどうなる?幽霊編 by ろーどらんなー on 木曜日 14 5月 2009 at 2:39 PM

死んだら心はどうなるの?

テレビで誰かが言ってたんですけど、人間は誰でも死んだらどうなるってコトを考えちゃう時期が来るんだそうです。その番組に出てたタレントさんは、小学生のときに出た身内のお葬式で、命というものを考え、死んだらどうなるって思うと死を怖くなったって言ってました。私も、中学生の頃ですけど、親戚の法事で何故かお経を聞きながら死んだらどうなるんだろうって考え始めて、止まらなくなっちゃたことがあります。

死んだらどうなるのか……肉体は焼かれて、残ったお骨は骨壷に入れられて、それがお墓に納められて……ってコト(少なくとも仏教では)はそのときには知ってましたよ。でもどうしても納得のいかないのが死んだ後の心の行方。

人が思考する機能もその人の性格を成す部分も脳味噌ありきのものであって、脳も含めた全身の機能が止まっちゃうのが死なんだから、思考も性格もなくなっちゃうのは当たり前っていうのは分かってるつもり。なんだケド、他の人にはない、その人固有の思考回路や性格は確かにそこにあったのに、急に忽然と消えてしまって一体何処へ行ったんだろう?って思っちゃうのデス。

頭で考えて、手足を動かして、言葉を話していたんですよ。身体はそれらを作動させる一部。なら、機能として発するための大元はどうなるんでしょう?

それが「魂」っていうものなんだって言われても、目に見えないものだし科学的な証明なんてできっこないので、なかなか納得できないんですねぇ。だからこそ、尊いんだとも思いますけどネ。

人は、一度死んだら二度と同じ人として動きません。何かを考えることはなくなります。元気に歩くこともできません。手を動かして肩を叩いてくれることもなければ、私の名を呼んでくれることもありません。その声をもう二度と聞けないんです。どんなに嫌だと思っていた性格でも、もう二度と関わることができなくなっちゃいます。

今まであったハズのものが忽然と消えてしまう喪失感。親しい人の死を恐れるのは、その喪失感が怖いというのも大きな要因の一つでしょう。だから、人が死ぬと、その喪失感を
感じ、とても悲しくなってしまいます(ρ_;)シクシク

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編, 死んだらどうなる?魂編 by ろーどらんなー on 水曜日 6 5月 2009 at 2:11 PM