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	<title>死んだらどうなる!?</title>
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	<description>死んだらどうなるのだろう…？そんな疑問の考察です</description>
	<lastBuildDate>Thu, 05 Aug 2010 11:37:16 +0000</lastBuildDate>
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	<item>
		<title>死んだらどうなる？　岸本英夫教授の場合（７）</title>
		<description>「死んだらどうなるか？」

癌との闘病を赤裸々に語った岸本英夫教授に聞いてみましょう。

「生命を断ち切られるということは、もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
　それが、人間の肉体的生命の終りであることは、たしかである。
　呼吸はとまり、心臓は停止する。（略）しかし、生命体としての人間を構成しているものは、単に、生理的な肉体だけではない。すくなくとも、生きている間は、人間は、精神的な個と考えるのが常識である。生きている現在においては、自分というものの意識がある。『この自分』というものがあるのである。そこで問題は、『この自分』は、死後どうなるかという点に集中してくる。これが人間にとっての大問題となる」
一番の問題は「死んだらどうなるか」
肉体の苦しみよりも大きな問題となるのですね。

この大問題を先日、親鸞会のお話で聞いてきました。
ここまで深い話は別のところで聞いたことがなかったので
驚きました。
そのことについてもまた機会を見つけてお話したいと思います。 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=102</link>
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	<item>
		<title>死んだらどうなる？　岸本英夫教授の場合（６）</title>
		<description>前回の続きです。

「死んだらどうなる」それが最大の問題で、

「直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物」

と論じています。
「おそろしいのは、死後の世界の有無がわからないままに無理にあると言い聞かせて自分を慰めようとし、あるかないかで煩悶することだと気づき、あてにならぬことはあてにはしまい」と決めた。そして、〝手負いのイノシシ〟のごとく働き、死の不安から逃れようとしたのである。
　その後も左顎部にがんは頻発し、手術を重ねながら、昭和３５年には、東大図書館長の職務を引き受けている。朝食は机で仕事をしながら済ませ、昼食も夕食も、ほとんど家で摂らなかった。仕事に自己を追い込み、死から目を背けていたが、
「手術をしましょう」
と言われるたびに、全身から血の気が引く。死の暗闇は、考えまいとすればするほど、大きな口を開いて迫ってきた。

　がむしゃらに働くだけではだめだ、と悩んでいた時、がんに冒された某大学創立者の告別の辞に触れ、「死は別れの時」という考え方に共鳴する。人間は、心の準備をして、小さな別れに堪える。死も準備しておけばよいと考え、心を落ち着かせようとした。
　しかし、死には、〝行く手が分からない別れ〟という深刻さがある。 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=92</link>
			</item>
	<item>
		<title>死んだらどうなる？　岸本英夫教授の場合（５）</title>
		<description> 

がんと闘って１０年、東大・宗教学教授の岸本英夫氏は、闘病記　（『死を見つめる心』）を書き残しています。

死を目の前にしたとき「死んだらどうなるか」ひとつが問題になるのです。
「生命飢餓状態におかれた人間が、ワナワナしそうな膝がしらを抑えて、
　一生懸命に頑張りながら、観念的な生死観に求めるものは何であるか。
　何か、この直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、
　抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。
　それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物である」　

　　　　　　　　　　　　（『死を見つめる心』）
親鸞会の知人が「死んだらどうなるか分からない心を無明の闇といい、
これが、苦しみ悩みの根っこだ」と言ったのを忘れることが出来ません。　 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=90</link>
			</item>
	<item>
		<title>死んだらどうなる？　岸本英夫教授の場合（４）</title>
		<description>岸本英夫教授を通して「死んだらどうなる？」について書いています。

今回が４回目。

「死の苦しみについて、人々が、まず思うのは、
死にいたるまでの肉体的な苦しみである。
高い熱がいつまでも続く。
胸が、しめつけられるように苦しい。呼吸が困難になる。
そして、ついに、断末魔の苦しみが来る。
口からはあわを吹き、大小便を垂れ流して、
あえぎながら、最後の息を引きとる。思っても、ぞっとすることである。
　そこで、死にいたるまでの病の苦しみさえなければと、
人々は考える。しかし、問題は、それほど単純ではない。
死の苦しみの中には、もっともっと、深刻なワナがかくされている。
　肉体的な病気の苦しみは、かりにそれが苦しくても、
それは、死にいたるまでのことである。
死そのもののもたらす精神的な苦しみは、別のものである。
　死自体を実感することのもたらす精神的な苦しみが、
いかに強烈なものであるか、これは、知らない人が多い。
いな、むしろ、平生は、それを知らないでいられるからこそ、
人間は幸福に生きていられるのである。
しかし、死に直面したときには、そうはいかない」　　　　

ほんと死んだらどうなるのでしょう？
肉体以上に辛いといわれる精神的苦痛。。。

親鸞会の友人から「死んだらどうなるか」について聞いたことが
あります。
今度もっとくわしく聞いてみようと思います。 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=86</link>
			</item>
	<item>
		<title>死んだらどうなる？岸本英夫教授の場合　３</title>
		<description>岸本英夫教授の本を通して「死んだらどうなる？」という問題について書いています。

岸本英夫、はもと東京大学の教授でしかも宗教学を専門とした興味ある学者でした。
彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ勇気ある人物でした。

その著「死を見つめる心」にはこう書かれています。

「私は、そのころ、始終、戦時中の空襲のことを思い出していた。敵機が近づくと、あの空襲警報のぶきみなサイレンが鳴った。それを聞くと、心がギュッと緊迫した。
　癌の場合、ある意味では、空襲警報より、もっと始末が悪かった。空襲警報の場合は、警報解除ということがあった。しかし、今度の癌とのたたかいにあっては、それがない。朝から晩まで、心は、緊張のしつづけである。私の内心は、絶え間ない血みどろのたたかいの連続であった」　

肉体よりも、死への恐怖という心の苦しみの方が
はるかに大きいと書かれてあります。
まさに「死んだらどうなる？」の恐怖。 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=82</link>
			</item>
	<item>
		<title>死んだらどうなる？岸本英夫教授の場合（２）</title>
		<description>岸本英夫教授の本を通して「死んだらどうなる？」という問題について
書いています。

岸本英夫、この人はもと東京大学の教授でしかも宗教学を専門とした興味ある学者でした。
彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ勇気ある人物でした。

癌の中でも最も恐ろしいといわれる悪性黒色腫という皮膚癌があります。
その転移性の早いことでは致命的な癌です。

岸本教授はかなり以前からしこっていた彼の左アゴの異様な固りを切開したのですが
そこにあの黒色腫の悪性な癌細胞が検出されたのです。

あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックは、それは大変な
ものでした。

岸本教授はこう書いています。

「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。
　昼はまだ良い。
　夜が問題だった、夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。
　癌の宣告を受けた私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
　そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を
　もたげてきたことを知った。
　腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくないという強烈な欲求と、
　死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
　生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、
　そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、
　私は身をもって知らされた。」 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=80</link>
			</item>
	<item>
		<title>死んだらどうなる？岸本英夫教授の場合（１）</title>
		<description>「死んだらどうなる？」

これが大問題と思ったのは、一冊の手記を読んだことが大きい。

その手記とは岸本英夫教授（１９０３～１９６４）の『死を見つめる心』という本だ。

東大教授で文学博士の岸本教授は１０年のガン闘病中に自らの心情を
その著『死を見つめる心』に吐露しています。
この本は、逝去の年、毎日出版文化賞を受賞しています。　

岸本教授がガンの宣告を受けたのは昭和二十九年、スタンフォード大学の客員教授
として、米国滞在中でした。

あごの下にできたしこりを、念のために摘出したあと、病院を訪れた時である。
体調を尋ねられた岸本氏は、

「パーフェクト（完璧）で、どこも何ともない」

と答えた。すると、医師は、

「これ（摘出したしこり）が、単純なリンパ腺の腫脹だと、問題はなかったのですが、
　増殖性のものだったので……」

と言う。岸本氏はハッとした。

「もしや、ガンでも……」

不安は的中し、余命半年を告げられたのである。
働き盛りの五十一歳。
夫人が、「結婚してから、一度も病気らしい病気もせず、丈夫な体と強い精神の
持ち主でした」と述懐する岸本氏にとって、まさに寝耳に水だった。

少し前までの「冗談でも言えそうなゆったりした」気分がうそのように、
心は異様に緊張し、「全く別人のような気持ち」になっていたという。

　胸中を闘病記に書いている。

「死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、
　突然に来たとしか感じないのである。
　生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていない
　からである。（略）
　死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気で
　やってくる。
　ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んで
　くる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。
　しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止める
　ことも、動かすこともできない怪物である」　
　　　　　　　　　　　　　（『死を見つめる心』）

しばらく、この本を通して「死んだらどうなる」がいかに大きな問題か
考えていきたいと思います。 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=78</link>
			</item>
	<item>
		<title>死んだら行き先はどうなるの？</title>
		<description>魂があると仮定して、死んだら魂はどうなるんでしょう。死んだら死後の世界へ行くんでしょうか。生前にいいコトをしていれば死んだら天国へ、悪いコトをしていれば地獄へ連れて行かれるって、小さいころから言い聞かされてきましたよね。死後の世界として、天国と地獄がどんなところか、ちょっと想像してみましょう。

以下、個人的な妄想です。イイカゲンかもしれないけど、怒らないでネ。

死んだら魂だけの存在になって、どんどん空高く昇って行くんだと思いマス。実際の空の果ては宇宙だけど、魂が往きつく先は天国。そこはきっと、昼も夜もない明るいトコロで、小さな花が咲き乱れているんデス。

何かに導かれるように歩いていくと、川が流れています。そこがあの有名な三途の川。流れは緩やかで、深さは膝くらいまでかな。渡ると、そこには既に亡くなっている知り合いがいます。自分で命を絶ってしまったのなら叱られるだろうケド（それ以前に天国へも行けないだろうケド）人生を最後までまっとうしたなら、頑張ったねって褒めてくれるカナ？

んで、次に生まれ変わるまでのしばらくの間、たまに下界の様子を見ながらそこで過ごすんデスよ。きっと。

私の想像する死後の世界・天国はそんなカンジ。ちなみに地獄はというと……

地獄の入り口にも川があるんではないでしょうか。そこは賽の河原で、親の先に死んでしまった子供たちが、鬼が睨むもとで石を積み上げてるんでしょうね。地獄に辿り着くと、そこでは死以上に辛い責め苦が待っています。

地獄にはいくつかの層があって、生前に犯した罪の重さによって行く先が決まります。そこでどうなるのか。そこにあるのがマグマの湯だか針の山だかは分かりませんが、きっと拷問とも思えるほど苦しいに違いありません。生前の行いを心の底から反省して改心しない限り、地獄を抜け出して天国へと行くことはできないんです。

これが、私による死後の世界・地獄のイメージ。どうでしょう？死んだら行く天国も地獄も、みんなが想像したならこんなカンジになるのでは？

だけど、やっぱりなー、なんか違う感じがしますね。
それ以上のイメージはわかないんだけど、簡単に人間が想像できちゃう世界とは
違うんじゃないかな、実際は、そんな気がする。 </description>
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		<title>死んだら仏教ではどうなるの？</title>
		<description>死んだらどうなるってことは、いろいろな宗教で考えられています。宗教によって出されている答えは様々で、死んだらどうなる？って考えるたびにひとつひとつの宗教が生まれたといっても過言ではないくらい。

基本的に、善いことをしてたら善い世界に、悪いことをしてたら悪い世界に
生まれるといわれているようですね。
それは賛成！
この世の頑張りが死後にはまったく関係ないっていうのはどうにもやりきれ
ません。
だからそうだとは言えないだろうけど、うーん、少なくともそう思いたいのが
正直なところです。

実際、仏教ではそう教えているようですね。
殺生したり、盗みを犯したり、嘘をついたり……と、こんな生き方をしている人たちは、その自らの行いによって、世間から非難されるなどをとっても辛い生活を送ることになりますが、その人たちは死んで、来世でもまた苦しむことになると教えているようです。
だからたとえこの世で悪事のかぎりを尽くしながら、捕まることなく天寿をまっとうした
としても、来世でその報いがくるわけです。
そうそう、そうでなくっちゃね。
そこのところも親鸞会で勉強している友人にもよく聞いておこう。

ちなみに、神を信ずれば悪いおこないも許されて天国に行き、
神を信じてなかったら地獄（煉獄）におちるっていうのはどうなんだろ？
いってはなんだけど、自分を大事にする生徒は成績が悪くてもひいきして、
自分を大事にしない生徒は、成績がどんなによかろうと貶める、ひどい
教師を思い出してしまうんですよね・・・

ほんとに信じるものは救われるの？
ちょっとおかしい気がするな、それは。 </description>
		<link>http://www.relax-here.com/?p=39</link>
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	<item>
		<title>死んだら意識はどうなるの？</title>
		<description>死んだらどうなる？って訊ねていると、友人を通して面白い話を聞くことができました。その人は親鸞会というところで仏教の勉強をしているらしい。初耳です。
信じるかどうかはベツとして、ちょっとその話を紹介したいと思いマス。

そもそも死んだらどうなるか考えてみると、どうもハッキリしませんよね。
死んだあとは有るとか無いとか断言している人でも本当のところは、
「と、思う」を省略しているのでしょう。

で、その友人は、「ハッキリしないことは不安じゃない」と聞いてきました。
確かにそうだよね。
大学受験の時も、合格しているかどうかハッキリしないからドキドキしたし、
仲がいい人で、私にも好意をもってくれているんじゃないかと思うんだけど、
どうもハッキリせずに、ドキドキ、そして眠れぬ夜。
停電なんかになると、それこそハッキリみえないから壁づたいにゆっくり
歩いて、それこそ不安一杯です。
なるほど、そうだね、それはそう。
ハッキリしないと不安、友人のいうとおり。

そこで話がもどって「死んだらどうなるかハッキリしないから、人はみな
なんともいえない不安な心を抱えているんだよ」っていうわけ。
うーん、一気に哲学だな。
そうか、なんともいえない不安な心か、たまに感じるかも。
何がというわけでもないのに、淋しくなったり、漠然とした不安な心を
感じたりすることあるものね。

そしてその死んだらどうなるかハッキリしない心を仏教では「無明の闇」
というらしい。
この「無明の闇」はかなり大事な仏教の言葉なのだそうだ。
これは「心の病」にもたとえられるそうなんだけど、一般的につかう、
「心の病」とは別みたい。
「魂の病」って感じかな？
そのことについてまた詳しく聞かせてもらえるようだから、楽しみの一つと
しておきましょう。 </description>
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