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親鸞会で聞いた話です。
「死んだらどうなるか分からない、死後に暗い心」を仏教では無明の闇といいます。
無明とは、明かりが無い暗いということ。
闇も暗いですから、
無明の闇とは暗い心をいいます。
ここでいわれる「暗い」とは分からないことです。
分からないことを「暗い」といいます。
例えば、このあたりの地理に暗いとか、
女心に暗いとか
分からないとき、ハッキリしないときにに「暗い」という言葉を使います。
では無明の闇とは何に暗いのか、なにが分からないのか、ハッキリしないのかといいますと、死んだ後(仏教では後生といいます)がハッキリしない、分からないのです。
なので、無明の闇とは、「後生くらい心」とも言われます。