「天国と地獄があるとすれば死んだあとアナタはどっちに行くと思いますか? 2001人アンケート」

ガジェット通信というサイトで「天国と地獄があるとすれば死んだあとアナタはどっちに行くと思いますか? 2001人アンケート」がなされました。

http://getnews.jp/archives/88670

結果は以下のとおり。

<天国と地獄、アナタはどっちに行くと思いますか?>
天国に行くと思う  1136票 (56.8%)
地獄に行くと思う  865票 (43.2%)
無回答 23票
結構、「地獄」を選んだ人が多いですね。

 アンケート回答者のコメントの一部も紹介されていました。>

・地獄なう
・私、地獄、行く
・天国にいけるほど善行を積んでいない
・地獄へ行くほどの悪行まではした覚えは無いけどどっちがお似合いかと問われれば地獄
・妖精になる予定
・地獄の種類って多かったからな…行きたくないけど行きそう
・生物殺しただけで地獄生きらしいから天国に行けないな
・毎日が地獄です
・天国に行けると思ってるやつのほうが多いことに驚き
・自分に自信があるやつが多いんだな
・天国=特権階級、地獄=奴隷労働なんだろ?
・既に、生き地獄。もう死後の世界とか輪廻転生とか、勘弁してください
・天国に行きたいと思うのが普通だよ
・天国に行く条件、地獄に行く条件が分からないから分からない

さて、あなたはどちらとお考えでしょうか?

Posted under 未分類 by ろーどらんなー on 月曜日 15 11月 2010 at 11:20 AM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(9)

前回の続きです。

岸本英夫教授は「死んだらどうなる」が最大の問題だと語り、
次のようにも書いています。
人間が、ふつうに、幸福と考えているものは、傷つきやすい、みかけの幸福である場合が、多いようであります。それが、本当に力強い幸福であるかどうかは、それを、死に直面した場合にたたせてみると、はっきりいたします。
 たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、たしかに、幸福をつくり出している要素であります。また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、容貌の美しさというような個人的条件も、幸福をつくり出している要素であります。これが、人間の幸福にとって、重要な要素であることは、まちがいはないのであります。だからこそ、みんなは、富や美貌にあこがれるのでありまして、それは、もっともなことであります。しかし、もし、そうした外側の要素だけに、たよりきった心持でいると、その幸福は、やぶれやすいのであります。そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、それが、はっきり、出てまいります。今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、色あせたものになってしまいます。お金では、命は、買えない。社会的地位は、死後の問題に、答えてはくれないのであります。
いかに「死んだらどうなるか」という問題が根源的なものかが
わかりますね。

この大問題の解決を教えたのが仏教と言われます。
親鸞会では、仏の教えを、忠実に、分かりやすく話がなされています。

Posted under 未分類 by ろーどらんなー on 水曜日 13 10月 2010 at 11:24 AM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(8)

昭和36年の秋、岸本英夫氏はアメリカで、がん治療の権威に診察してもらう機会を得ました。
そしてこう言われました。
「珍しいケースです。あなたのがんは、繰り返し出てくるが、そのつど、早く切り取れば、長く生きられるでしょう」
 岸本氏はすぐに、日本へ電報を打ちます。

〝I can live long〟
(私は長生きができる!)と。

 そして、がんに冒されて以来、日に何度も患部を映していた懐中鏡を使うことも忘れ、死の恐怖から解放されていきました。
 その後も、がんは相変わらず皮膚に顔を出し、切除は繰り返されましたが、
「先日切り取ったがん細胞は良性でした」
という医師の言葉に、ますます安心しました。

けれど、がんが表面に現れなくなっていた昭和38年、ついに脳へ転移し、死の床に就きます。

「患者は、医者の『まだ、大丈夫です』という言葉に自ら進んでだまされているうちに、死んでゆく」と、自身が指摘していたように、失意のうちに、60年の生涯を閉じたのです。

『死を見つめる心』にこう書かれてあります。

「死の問題は、どうしても解かねばならない問題として、人間のひとりひとりに対して、くりかえしくりかえし提起される。どうしても解かなければならないけれども、どうしても解くことができない。これは、永遠のなぞとして、永久に、人間の上に残るであろう」

この大問題について、親鸞会では深く、丁寧に話されていました。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編 by ろーどらんなー on 木曜日 30 9月 2010 at 11:41 AM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(7)

「死んだらどうなるか?」

癌との闘病を赤裸々に語った岸本英夫教授に聞いてみましょう。

「生命を断ち切られるということは、もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
 それが、人間の肉体的生命の終りであることは、たしかである。
 呼吸はとまり、心臓は停止する。(略)しかし、生命体としての人間を構成しているものは、単に、生理的な肉体だけではない。すくなくとも、生きている間は、人間は、精神的な個と考えるのが常識である。生きている現在においては、自分というものの意識がある。『この自分』というものがあるのである。そこで問題は、『この自分』は、死後どうなるかという点に集中してくる。これが人間にとっての大問題となる」
一番の問題は「死んだらどうなるか」
肉体の苦しみよりも大きな問題となるのですね。

この大問題を先日、親鸞会のお話で聞いてきました。
ここまで深い話は別のところで聞いたことがなかったので
驚きました。
そのことについてもまた機会を見つけてお話したいと思います。

Posted under 死んだらどうなる?周囲の人々編 by ろーどらんなー on 木曜日 5 8月 2010 at 7:06 PM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(6)

前回の続きです。

「死んだらどうなる」それが最大の問題で、

「直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物」

と論じています。
「おそろしいのは、死後の世界の有無がわからないままに無理にあると言い聞かせて自分を慰めようとし、あるかないかで煩悶することだと気づき、あてにならぬことはあてにはしまい」と決めた。そして、〝手負いのイノシシ〟のごとく働き、死の不安から逃れようとしたのである。
 その後も左顎部にがんは頻発し、手術を重ねながら、昭和35年には、東大図書館長の職務を引き受けている。朝食は机で仕事をしながら済ませ、昼食も夕食も、ほとんど家で摂らなかった。仕事に自己を追い込み、死から目を背けていたが、
「手術をしましょう」
と言われるたびに、全身から血の気が引く。死の暗闇は、考えまいとすればするほど、大きな口を開いて迫ってきた。

 がむしゃらに働くだけではだめだ、と悩んでいた時、がんに冒された某大学創立者の告別の辞に触れ、「死は別れの時」という考え方に共鳴する。人間は、心の準備をして、小さな別れに堪える。死も準備しておけばよいと考え、心を落ち着かせようとした。
 しかし、死には、〝行く手が分からない別れ〟という深刻さがある。

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 月曜日 12 7月 2010 at 4:21 PM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(5)

 

がんと闘って10年、東大・宗教学教授の岸本英夫氏は、闘病記 (『死を見つめる心』)を書き残しています。

死を目の前にしたとき「死んだらどうなるか」ひとつが問題になるのです。
「生命飢餓状態におかれた人間が、ワナワナしそうな膝がしらを抑えて、
 一生懸命に頑張りながら、観念的な生死観に求めるものは何であるか。
 何か、この直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、
 抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。
 それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物である」 

            (『死を見つめる心』)
親鸞会の知人が「死んだらどうなるか分からない心を無明の闇といい、
これが、苦しみ悩みの根っこだ」と言ったのを忘れることが出来ません。 

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 火曜日 8 6月 2010 at 2:43 PM

死んだらどうなる? 岸本英夫教授の場合(4)

岸本英夫教授を通して「死んだらどうなる?」について書いています。

今回が4回目。

「死の苦しみについて、人々が、まず思うのは、
死にいたるまでの肉体的な苦しみである。
高い熱がいつまでも続く。
胸が、しめつけられるように苦しい。呼吸が困難になる。
そして、ついに、断末魔の苦しみが来る。
口からはあわを吹き、大小便を垂れ流して、
あえぎながら、最後の息を引きとる。思っても、ぞっとすることである。
 そこで、死にいたるまでの病の苦しみさえなければと、
人々は考える。しかし、問題は、それほど単純ではない。
死の苦しみの中には、もっともっと、深刻なワナがかくされている。
 肉体的な病気の苦しみは、かりにそれが苦しくても、
それは、死にいたるまでのことである。
死そのもののもたらす精神的な苦しみは、別のものである。
 死自体を実感することのもたらす精神的な苦しみが、
いかに強烈なものであるか、これは、知らない人が多い。
いな、むしろ、平生は、それを知らないでいられるからこそ、
人間は幸福に生きていられるのである。
しかし、死に直面したときには、そうはいかない」    

ほんと死んだらどうなるのでしょう?
肉体以上に辛いといわれる精神的苦痛。。。

親鸞会の友人から「死んだらどうなるか」について聞いたことが
あります。
今度もっとくわしく聞いてみようと思います。

Posted under 未分類 by ろーどらんなー on 土曜日 1 5月 2010 at 9:03 PM

死んだらどうなる?岸本英夫教授の場合 3

岸本英夫教授の本を通して「死んだらどうなる?」という問題について書いています。

岸本英夫、はもと東京大学の教授でしかも宗教学を専門とした興味ある学者でした。
彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ勇気ある人物でした。

その著「死を見つめる心」にはこう書かれています。

「私は、そのころ、始終、戦時中の空襲のことを思い出していた。敵機が近づくと、あの空襲警報のぶきみなサイレンが鳴った。それを聞くと、心がギュッと緊迫した。
 癌の場合、ある意味では、空襲警報より、もっと始末が悪かった。空襲警報の場合は、警報解除ということがあった。しかし、今度の癌とのたたかいにあっては、それがない。朝から晩まで、心は、緊張のしつづけである。私の内心は、絶え間ない血みどろのたたかいの連続であった」 

肉体よりも、死への恐怖という心の苦しみの方が
はるかに大きいと書かれてあります。
まさに「死んだらどうなる?」の恐怖。

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 火曜日 27 4月 2010 at 5:11 PM

死んだらどうなる?岸本英夫教授の場合(2)

岸本英夫教授の本を通して「死んだらどうなる?」という問題について
書いています。

岸本英夫、この人はもと東京大学の教授でしかも宗教学を専門とした興味ある学者でした。
彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ勇気ある人物でした。

癌の中でも最も恐ろしいといわれる悪性黒色腫という皮膚癌があります。
その転移性の早いことでは致命的な癌です。

岸本教授はかなり以前からしこっていた彼の左アゴの異様な固りを切開したのですが
そこにあの黒色腫の悪性な癌細胞が検出されたのです。

あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックは、それは大変な
ものでした。

岸本教授はこう書いています。

「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。
 昼はまだ良い。
 夜が問題だった、夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。
 癌の宣告を受けた私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を
 もたげてきたことを知った。
 腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくないという強烈な欲求と、
 死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、
 そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、
 私は身をもって知らされた。」

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 土曜日 27 3月 2010 at 11:34 AM

死んだらどうなる?岸本英夫教授の場合(1)

「死んだらどうなる?」

これが大問題と思ったのは、一冊の手記を読んだことが大きい。

その手記とは岸本英夫教授(1903~1964)の『死を見つめる心』という本だ。

東大教授で文学博士の岸本教授は10年のガン闘病中に自らの心情を
その著『死を見つめる心』に吐露しています。
この本は、逝去の年、毎日出版文化賞を受賞しています。 

岸本教授がガンの宣告を受けたのは昭和二十九年、スタンフォード大学の客員教授
として、米国滞在中でした。

あごの下にできたしこりを、念のために摘出したあと、病院を訪れた時である。
体調を尋ねられた岸本氏は、

「パーフェクト(完璧)で、どこも何ともない」

と答えた。すると、医師は、

「これ(摘出したしこり)が、単純なリンパ腺の腫脹だと、問題はなかったのですが、
 増殖性のものだったので……」

と言う。岸本氏はハッとした。

「もしや、ガンでも……」

不安は的中し、余命半年を告げられたのである。
働き盛りの五十一歳。
夫人が、「結婚してから、一度も病気らしい病気もせず、丈夫な体と強い精神の
持ち主でした」と述懐する岸本氏にとって、まさに寝耳に水だった。

少し前までの「冗談でも言えそうなゆったりした」気分がうそのように、
心は異様に緊張し、「全く別人のような気持ち」になっていたという。

 胸中を闘病記に書いている。

「死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、
 突然に来たとしか感じないのである。
 生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていない
 からである。(略)
 死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気で
 やってくる。
 ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んで
 くる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。
 しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止める
 ことも、動かすこともできない怪物である」 
             (『死を見つめる心』)

しばらく、この本を通して「死んだらどうなる」がいかに大きな問題か
考えていきたいと思います。

Posted under 死んだらどうなる?現実的編 by ろーどらんなー on 日曜日 28 2月 2010 at 4:35 PM

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